9×9

オリジナルBL・百合小置き場

BL「武藤さんの朝」(1)

武藤さんの朝(1)


ある朝、いきなりコーヒーメーカーが故障した。毎朝、自分で挽いた豆でコーヒーを淹れるのが日課だったのに。日課をこなせず、コーヒーめ飲めないとなるとなんとも落ち着かない。仕方なく、その日は出勤前にコーヒーショップでコーヒーを買って我慢することにした。

「いらっしゃいませ」

接客が丁寧なことで有名な大手チェーン店。主に若者に人気があるということから、騒がしいのが苦手な自分は今まで来たことは一度もなかった。だが意外なことに、会社のそばにあるその店は、なんともゆったりとした雰囲気がただよっており、他の客がリラックスしているのが見て分かるほどであった。相当居心地がよいのであろう。

穴場というやつだったのだな。
そう思いながら、メニューを見る。ごちゃごちゃと色んなものが書かれたメニューから、一番シンプルそうなものを選んだ。

支払いをし、受け取りカウンターへ進む。

「ブレンドコーヒーでお待ちの方」

カウンター越しに声をかけられた。若い男性の声。ふと目をやると、すっとした佇まいの、真面目そうな男の子がいた。大学生くらいだろうか。地味だが、清潔感のある涼しげな雰囲気の子だった。

「熱いのでお気をつけてお持ちください
。」

そう言われてカップを受け取ったとき、かすかに触れた彼の手は、コーヒーの熱さとは真逆に、とてもひんやりとしていた。

「ありがとうございました。」

見送りの声を背に、店を出た。会社に向かって歩きながらコーヒーに口をつける。悪くはない味だ。歩きながら飲むというのも新鮮で面白い。
あの店も雰囲気がよかったし、新しいコーヒーメーカーを買うまではしばらくあそこへ通ってみようか。なぜかわくわくする。一人で楽しくなってしまい、会社の受け付け担当や部下に、「社長、今日はご機嫌ですね」「珍しく笑ってらっしゃる」とさんざん言われた。
そんなに機嫌がいいように見えるのだろうか。なにがこんなに心を浮き立たせるのだろうか。分からないが、とにかく明日の朝が楽しみだった。



次の日から、わたしのコーヒショップ通いが始まった。相変わらずごちゃごちゃしたメニューの中から、店の名を冠したブレンドコーヒーを頼む。支払いをし、受け取りカウンターへ進み、そして「ハヤカワ君」からコーヒーを受けとる。
ハヤカワ君は、一番最初にここへ来たときにいた彼だ。通いはじめの頃は、他の店員がカウンターにいることもあったが、最近はハヤカワ君が固定で朝のカウンター担当になったようだ。毎朝、変わらぬ彼の姿を見て、コーヒーを受け取り、「ありがとうございました」の声に頷いて店を出る。たまに触れる手は、相変わらず冷たかった。


コーヒーショップへ通うようになってからしばらくした頃。出勤し、廊下を歩いていたら、部下の吉岡に声をかけられた。

「おはようございます。最近、武藤さんよくそのカップ持ってますね。近所のあの店ですか?」

話しかけてくる吉岡に、頷く。
「最近知ったのだが、とてもいい雰囲気でね。」
「カウンターの店員も気持ちのよい接客をしてくれて、朝の楽しみになっているんだ。」
自分の店でもないのに、なぜか誇らしげに言ってしまった。吉岡は気さくな性格であるから、なんでもうんうんと聞いてくれる。

「そんなにいい店なら、僕も一度いってみたいです。もしよければご一緒させていただいても?」
「ああ、構わない」

そういうわけで、次の日に吉岡とあの店にいくことになった。自分のお気に入りを自慢したい気持ち半分、隠しておきたかった気持ち半分。しかし、ハヤカワ君に会えることには変わりない。いつも通りコーヒーを頼んで出勤しよう。



吉岡とコーヒーショップに行った日から、数日。なんとなく最近ハヤカワ君が俯きがちにな気がする。何かあったのだろうか。気になるが、プライベートについて聞けるほどの仲ではない。カウンター越しの彼の姿を気にかけつつ、コーヒーを受け取って会社へ向かった。

それからまた数日。ハヤカワ君はやはり今日も俯きがちだ。丁寧な接客は変わらないが、なにか沈んだように見える。毎朝そんな彼を見ては、何か声をかけたいと思うのだが、なかなかカウンターの中の彼へかける言葉はでてこない。そうやってもどかしい思いをしているうちに、ハヤカワ君は朝姿を見せなくなっていった。今までは毎日のように顔を会わせていたのに、気づけば週に3日、2日、1日……とうとうどの曜日にも姿を見せなくなってしまった。

シフトが変わったのだろうか。それともやめてしまった?どちらにせよ、最近は全くハヤカワ君には会えなくなってしまった。最後に見た彼の、俯きがちな姿が頭をよぎる。会えなくなる前に、声をかけておけばよかった。ただの店員に、ここまで思い入れがあるなんて。よくよく考えてみたら、この店に足を運ぶようになって一年程が過ぎていた。この一年、毎日のようにハヤカワ君と顔を合わせていたから、これからもずっと続くものだと思っていた。
人との関係は脆いものだ。という以前に、わたしとハヤカワ君の間には何か関係というもの自体はあったのだろうか。

急な別れに、なぜかさみしい。毎日のコーヒーショップ通いもつまらなくなってしまった。実は、新しいコーヒーメーカーはとっくに家にある。別に外でコーヒーを買う必要もなくなったので、また家でコーヒーをいれて飲むようにすればいい。
ハヤカワ君に声をかけてもらうことはできなくなったけれど。ハヤカワ君の、あの冷たい手に触れることもなくなってしまったけれど。
一人でいれて飲むコーヒーの味気ないこと。一年たってやっと、わたしはハヤカワ君のことを随分気に入っていたのだということに気付いた。もう少し話ができれいればよかったのだが、とおもったところで後の祭りだ。今日もまた、味のないコーヒーを飲んででかけた。